明治神宮ミュージアム
日本 東京都 渋谷区
隈研吾建築都市設計事務所
明治神宮の参道のひとつの象徴、神橋(しんきょう)の脇に、森と融け、森に消えていくような透明なミュージアムを創造した。
明治神宮の森は、明治天皇の死後、全国のボランティアの手で植えられ、育てられた。わずか100年間で、聖なる原生林とみまがう、深い森が生まれた。この森の木立の中に、木の葉のような薄い屋根を、敷地の勾配に沿って漂わせようと考えた。屋根は入母屋作りの形式とすることによって、軒の高さを極力低くしながら、室内には、外光の射し込む、ゆったりとした展示空間を確保することができた。縦ルーバーとガラスとで構成される外壁も、樹々のスケールにあわせてルーバーの寸法を調整し、木立のリズムと共振し、森の中に消えてゆくファサードとなった。室内では、構造体の鉄骨を露出し、木の骨組みの露出を基本とする神社のような、簡素で抽象的な空間を作った。鉄骨の構造体のフランジとフランジの間を、桧材で埋めることで、鉄のシャープさと木の暖かさを両立させた。
同じ境内に建つ大江新太郎設計の宝物殿(1921)から、明治神宮鎮座百年事業の一環として、明治神宮ゆかりの品々が移され、収蔵・展示されている。
明治神宮の森は、明治天皇の死後、全国のボランティアの手で植えられ、育てられた。わずか100年間で、聖なる原生林とみまがう、深い森が生まれた。この森の木立の中に、木の葉のような薄い屋根を、敷地の勾配に沿って漂わせようと考えた。屋根は入母屋作りの形式とすることによって、軒の高さを極力低くしながら、室内には、外光の射し込む、ゆったりとした展示空間を確保することができた。縦ルーバーとガラスとで構成される外壁も、樹々のスケールにあわせてルーバーの寸法を調整し、木立のリズムと共振し、森の中に消えてゆくファサードとなった。室内では、構造体の鉄骨を露出し、木の骨組みの露出を基本とする神社のような、簡素で抽象的な空間を作った。鉄骨の構造体のフランジとフランジの間を、桧材で埋めることで、鉄のシャープさと木の暖かさを両立させた。
同じ境内に建つ大江新太郎設計の宝物殿(1921)から、明治神宮鎮座百年事業の一環として、明治神宮ゆかりの品々が移され、収蔵・展示されている。